あれっ、なんか忘れてる
……と思ったら、唐辛子を蒔くのを忘れてた〜!
ちょっと時期は遅れちゃったけど、今年は「福耳ジロー」にチャレンジ
“ジャンボとうがらし”の異名を持つだけあって、かなり大きく育つらしい…!
うまく育ったら、収穫が楽しみだな〜

ソクラテスが毒杯を手にしたとき、彼は執行人にこう尋ねたといいます。
「これは、どう飲めば一番よく効くのか?」
執行人は答えました。
「飲んでから部屋の中を少し歩き回り、体が冷えてきたら横になってください。」
ソクラテスはそれを実行し、法に従って静かに死を受け入れました。
「悪法もまた法なり」とは、そんな彼の姿勢を象徴する言葉として語られています。
さて、「種苗法」という法律があります。
品種の保護を目的としていて、登録された品種を自家採種して販売することが禁止されています。
目的は理解できます。新品種を開発した人々の努力を守るための法律です。
でも、私はそこに少し違和感を覚えています。
農家の創造性や工夫、そして試してみようとする気持ちが、法律によって萎縮してしまわないかと。
昔、私はピーマンの隣に「大辛」と書かれた唐辛子を植えたことがあります。
そのピーマンはとても良い実をつけるもので、翌年、その種を採って蒔いてみました。
たくさん実をつけました。見た目は立派なピーマンでした。
でも、食べてみて驚きました。
辛い。ピーマンなのに、まるで唐辛子のような辛さ。しかも「大辛」そのものでした。
ああ、これはおそらく、唐辛子と交雑したのだ――
そう気づいたとき、ちょっとした感動すら覚えました。
もちろん、それはピーマンとしては失敗です。
でも、その偶然が、私に「新しいものが生まれる瞬間」を見せてくれました。
農業はただの作業ではなく、自然との対話であり、小さな発見の積み重ねです。
「こんなことをしたら、どうなるだろう?」
そう思ってやってみる。その中から、次の何かが生まれることがあります。
それが、法によって一律に制限されるとしたら、私たちの手から何か大切なものがこぼれ落ちてしまうのではないか――
そんなことを、辛いピーマンを思い出しながら考えています。